夜明け前が最も暗い

何かを失った自分が、新しい自分を手に入れるまで。

ぺんぎん、就活はじめるってよ

 

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こんにちは、ぺんぎんです。

「ぺんぎん」というハンドルネームを使っていますが、私自身は寒がりです。

 

 

 このところ比較的長い記事を書き、しかも自分の手に負えず持て余していたので、今回は短い記事というかこれからの抱負をここで述べさせていただきます。

 

 さて、私は現在仕事をしていません。退職の理由は省きますが、前職を退職してから早半年以上が過ぎています。その間は公務員試験の勉強をしたり、資格試験の勉強をしたりしていました。勉強していたことを除けば、本を読んだり、映画を観たり、スポーツをしたり、まるで高等遊民みたいな生活をしていました。また、公務員になるつもりであったので、すぐに働く気はありませんでした。進路も今年中に決まれば良いかな程度に考えていました。しかし、現在の結果として、公務員試験には全て落ちてしまい、資格試験も先日の試験をもって予定していた全ての試験を受験し終えました。

 

 そんなモラトリアムな日々を過ごしていましたが、先日は勤労感謝の日、何かに駆られるようにやはり自分も何らかの形で社会に貢献しなければならないと思いました。また、最近はどうも何事にもやる気が起きず、物足りなさというかぼんやりしている自分がいました。貯金も底をついてきたという理由もあります。つまり、いよいよ働く日が来たという訳なのです。

 

 そこで今回、このブログで再就職宣言することにしました。2016年11月24日現在、このブログの読者は50人弱感謝…圧倒的感謝!!)、この皆様の前で、働くことを宣言すれば自分も気合が入り、また、一人くらいはこのことを覚えていてくれるのではないかと思いつき、このブログで記事にすることにしました。勝手なことではありますが、証人よろしくお願いしますm(_ _)m

 

 

 「私は2016年中に再就職を決めます!!」

 

 

待っとけよぉお!!社会ィィィィィィィィイ!!働くぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!!

 

 

ぺんぎん

Why don't you do your best?~映画『セッション』にみる社会に蔓延る「よくやったよ」病~

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こんにちは、ぺんぎんです。

まだ20代のはずなのに最近は眠くて12時を迎えることなく寝てしまいます。

 

 

 さて、はてな匿名ダイアリーを閲覧しているとこんな記事を見かけました。

anond.hatelabo.jp

 要約すると、自宅に居ながら映画やドラマが配信で見られるのに、なぜわざわざ手間のかかるレンタルDVDを借りにいく必要があるのか、という意見です。

 

これに対して、以下の意見もありました。

anond.hatelabo.jp

 要約すると、配信されているのは人気がある一部の作品だけであり、必ずしも自分が見たい作品がある訳ではない。ソフトでしか見られない作品もある、という意見です。

 

 私はこの方と同意見です。ネットで映画やドラマを見られることは確かに便利ですが、すべての作品を網羅している訳ではありません。最新の、または人気がある(もっと言えば利益が上げられる)作品だけが配信されているように感じます。

 余談ですが、映画『ファイト・クラブ』のブルーレイ版では、ラストシーンに演出としてサブリミナルで一瞬画面にペ〇スが写りますが、これも配信では無理でしょうね笑

 

 また、このダイアリーの筆者は以下のように述べてます。(該当記事より抜粋)

フィルム→ビデオ→DVD→ネットフリックスと、どんどん作品は厳選されていく。そこで選ばれるのは収益が見込まれる大衆的な作品だけだ。少数に深く刺さるマニアックなものは捨てられる。たくさんの映画が捨てられてきた。その中には、もし鑑賞していれば、あなたの人生を変えるような映画も無数にあったはずだ。父親からの手紙が何よりも泣けるように、一人ひとり、深く刺さるものは違う。その可能性が、たくさん捨てられてきた。(中略)  

そうやって表面的なものしか残らなくなった地球では、映画に深い感動を覚える人間をいない。1人もいない。誰もが「こんなもんだ」と……「上映時間分楽しめればいいや」と……その程度の感慨しか映画に持っていない。映画を見て人生が変わったり、苦痛から解放されたり、生きるエネルギーをもらったりすることはない。映画にそんな力があるなんて、誰も思っちゃいない。

 

 さて、それを踏まえた上で本題です。先日映画『セッション』(原題:Whiplashを観ました。『セッション』は、音楽大学を舞台にドラム奏者である学生とそれを指導する教師との心と心のぶつかり合いを描いた映画です。第87回アカデミー賞で5部門にノミネートされ、鬼教官役のJ・K・シモンズ助演男優賞を含む3部門で受賞しました。以下に作品のあらすじを紹介します。

 

 あらすじ(日本版公式サイトhttp://session.gaga.ne.jp/story/より抜粋)

名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラーフレッチャー(J・K・シモンズのバンドにスカウトされる。ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。

 

 音楽をやっている方もそうでない方も楽しめる一押しの作品です。

 この作品の中で特に印象に残った場面があります。それは主人公であるニーマンがある事件を起こして退学となり、偶然見つけたジャズクラブで当時の指導教官であったフレッチャーと再会し、酒を呑みながらフレッチャーが自らの指導方法をニーマンに弁明する場面です。

 

 彼は言います。「自分が学生を厳しく指導するのは、彼らにジャズ界の伝説になって欲しいと願うからだ。自分の仕事はバンドを指揮することではない。偉大なミュージシャンを育てることだ。かつて、ヘマをやらかしたチャーリー・パーカーに、ジョージョーンズはシンバルを投げつけた。しかし、それがパーカーの克己心に火をつけ、彼を偉大にした。自分のやったことに後悔はない。」と。

 また、フレッチャーはこう続けます。「よくやった(Good Job)と生ぬるく褒めそやすことで、第二のチャーリー・パーカーの才能を殺すことこそが悲劇だ」と。

 

 映画に限りませんが、私は段々と人々の価値観や評価のハードルが下がってきていると感じています。「それって本当にベスト(全力)なの?」と思う時がよくあります。具体例を挙げれば、最近の雨後の筍のように出てくる作品愛に欠けた、クオリティではなく話題性だけで利益を上げようとする漫画の実写映画がそうです。また、観る側も初めから期待していなくて、「まぁこんなもんか」という感じの低い目線で作品を観ている人が多いような気がします。

 仕事でもなんでも「こんなもんか」や「よくやったよ」という考え方が物事のクオリティを下げたり、努力の方向性を変えてしまっているような気がしてなりません。ベストを尽くすのではなく一定の評価が得られればいいと考えたり、努力へのアプローチそのもの止めてしまう危険性さえあります。

 この「低価値観」ともいうべき価値観が蔓延した結果、悪貨が良貨を駆逐するように、大衆的で表面的なものしか生き残れず、抜きんでるものが生まれない、もしくは生まれにくくなってしまうのではないかと分析します。

 と、ここまで自分の考えを述べてきましたが、そんな考え方だからこそ、ストーリーを通してその理論を体現しているこの作品が私には深く響いたのかもしれません。

 

 

 ■最後に

 ある著名な大学教授はこう言いました。

なぜベストを尽くさないのか

 私はこれに一言を付け足してこの記事を強引に〆たいと思います。

それがお前の本当のベストか」

 

 そしてまたオチはない。

 

 

ぺんぎん

超☆個人的アイドル理論~芸能人の交際についての自論~

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こんにちは、ぺんぎんです。

バイクに乗ってるのですが、寒い日が多く肌力を試される毎日を過ごしています。

 

さて、今年も色々なニュースがありましたが、中でも自分が衝撃を受けたことは、同い年くらいのアイドルや女優さんが相次いでご結婚(婚約)されたことです。先日も女優の吉井怜さんと俳優の山崎樹範さんがご結婚されました(おめでとうございます!!)

そこで今回は自分なりのアイドルの交際についての理論を勝手にお話しします。

 

 

■芸能人は恋愛宣言して欲しい?欲しくない?

 私が最近驚いたことは、ある芸能人が自身の交際についてオープンに話していたことです。正直、「えっ、○○○○(芸能人の名前)、バカなの?」と思いました。

 

 通常、芸能人は結婚(婚約)をする際に公式な発表を行っています。本人の考え方や事務所の意向もあるかと思いますが、パパラッチやスキャンダル以外で、自身の交際について公にする方は少ないです。AKB48の様に恋愛禁止のルールを掲げるアイドルもいます(もちろん、事実かはわかりませんが)。交際を公表しない理由として考えられることは、お相手の方が芸能人である場合に芸能活動の混乱を避けるためや、個人としてではなく「○○と交際している××」というイメージが付いてしまうということを避けるためなどの理由が考えられます。

 

 芸能人が交際宣言を避けることについては私も賛成で、実際に交際をしていても宣言はして欲しくないなーという立場です。理由としては、その方をまともなフィルターで見られなくなるからです。自分はあまり良い性格の人間ではないので、テレビなどでその芸能人を見ていても、「あぁ、今頑張っているのは(ファンの為ではなく)きっと彼氏の為なんだなぁ」とひねくれた見方しか出来なくなります。なので、あえて交際宣言をする芸能人については正直、意味不明理解不能です。

 

 きっと本当のファンなら交際宣言をしたとしても離れていくことはないと思いますが、私はライトな層なので交際宣言を見てしまうと興味や熱意を失ってしまう、引いてしまうことがあります。(今、考えるとこれが俗に言う「ましゃロス」なのかなぁ。違うか。)

 

■理想のカミングアウトとは

 じゃあ、「あなたは芸能人の恋愛については反対なの?」というとそうではありません。むしろ逆で、本人に良い人がいるならば早く結婚して幸せになって欲しいと思っています(結婚が必ずしも幸せなのかはわかりませんが)。特に自分と同年代で思春期の頃によくテレビで見ていた芸能人に対しては、大きなお世話ながら「もうはよ結婚して幸せになりや」と親心みたいなものすら感じています。ただし、ガッキーは俺と結婚してくれー!!笑

 

 なので、芸能人が恋愛をしていても全然構わないというか、それは本人の自由だし、ファンであっても他人がとやかく言えることではないかなと思っています。その一方で、夢を与える仕事なのだからこそ、そこはプロとして自分以上にファンも大切にしなければならないだろうとも考えています。もちろん交際宣言をすることがファンを裏切ることになる訳ではないと思いますし、本人なりの意図のあってのことだとは思います。しかし、理屈では言い表せませんが、交際は公表しないで欲しい、もしくは「結婚した」と事後報告して欲しいと思うところが正直なところです。

 

 恋愛や結婚という訳ではないですが、ファンのもとから去るという点では、モデルの神崎かなえさん(※画像の方、かわいい)のフェードアウトの仕方が理想的です。神崎かなえさんは美少女読者モデルで、2009~2010年頃に活動をしていましたが、2016年現在、芸能活動を行っていない様です。噂では芸能界を引退したとか、今は結婚しているとの話もあります。本人の意図はわかりませんが、ファンの想像の余地を残す方法なのでとても良い去り方だなと思いました(情報や真意が間違っていたらごめんなさい)。また、きれいな引退という点では、乃木坂46橋本奈々未さんやハロプロ嗣永桃子さんなども潔い引退だなと最近思いました。

 

 ここまで、「そんなの自分のエゴじゃないか!」という意見もあると思いますが、その通りだと思います。でも、やっぱり理性では理解できても感情では理解できないんですよね。

 

■まとめ

 我々(私だけ?)はピュアです。また、現実は辛く、苦しい時もあります。だからこそ、アイドルという偶像で甘い夢を見ていたいのです。ファンだからこそ、推しには幸せになって欲しいとも思っています。でも、どうかお願いですから、結婚するまでそのことは言わないで下さい。どうせ嘘なら、甘い嘘で我々を信じさせて下さい。それが私の心からの願いです。あと関係ないですが、マスコミの皆さん、不純な交際はどんどん暴いちゃって下さい笑

 

 

では、最後にこの言葉でこの記事を〆ます。

なんか自分超きめぇ!!笑

 

 

ぺんぎん

5年後の自分へ(2021年11月8日になったら読んでね♡)

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

 

こんにちは、ぺんぎんです。

はてなブログ5周年のお題キャンペーンが第2弾になりましたので、

またまた企画に便乗させてもらいます笑

あ、ちなみに自分宛てにガチで書きますよ。真面目に不真面目!!

 

 

さて、5年後の自分は今、何をしていますか。

 

5年後というともう自分はアラサーというレベルではなく、

立派な中年になっていますね。平たく言えばおっさんです。

そちらはどうですか。

可愛くて自分より稼ぐタイツの似合う彼女or妻はできましたか。

結婚して、IQ180以上でリンガルな子供ができてたりしますか。

仕事は、ちゃんと働けていますか。もう仕事辞めるとか言うなよ。

わんこかにゃんこは飼っていますか。はげ散らかしてないですか。

ベホマとかイオナズンは使えるようになりましたか。

てか、この世にいますか。

 

5年前のこちらは、金も仕事も恋人もないけど何とか生きてます。

悪あがきをしながら、もがきながら毎日を生きています。

あ、でもそれなりに楽しいので悲観しないでね。

 

5年後の自分宛てにメッセージを、と思ったのだけれど、

結局、未来は現在の延長線上にあるもの、

つまり、今の自分の延長線上に5年後の自分があるということなのだから、

これらの質問の答えは今からでも用意できるし、

自分の行動次第でいくらでも変えられるということなんだな、と思った。

 

逆に、過去から上から目線のメッセージなんか残していたら、

「こうなったのはお前のせいなんやで、ボケ」

と、5年後の自分に怒られそうな気がしたのでやめることにする。

 

未来の自分に怒られないように今をしっかりと生きようと思う。

それが未来の自分に対する何よりの献身だろう。

5年後の自分にメッセージをと言うより、

現在の自分の決意表明になってしまった。

でも、まぁいいや。自分らしいし。

 

5年後に生きていたら、その時はまたよろしく。

やはりオチはない。

 

 

ぺんぎん

『君の名は。』~新海誠三作品における考察と感想~

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こんにちは、ぺんぎんです。

実は私、今日が誕生日なのです。誰か祝福して下さい(笑)

 

 

 さて、今さらですが、映画『君の名は。』を鑑賞しました。当初は青春ラブストーリーものという情報を得ていたので、「独身アラサーの自分なんかが観たらその場で蒸発しかねない!」と思って敬遠していたのですが、ふと気の迷いから先日、映画を観に行きました。感想はというと、

「どうした新海誠!面白いじゃないか!!」という感じでした(笑)

 新海作品と言えば、『秒速5センチメートル』を以前に鑑賞しており、あの何とも言えない切ない感じの終わり方がたまりませんでした。なので、今回もそんな感じになるのではないかと予想していました。しかし、実際は全然違いました。『君の名は。』は、これまでの新海作品の集大成であると感じました。

 以下に、『君の名は。』がこれまでの新海作品の集大成である理由や作品の共通点などを6つの視点で紹介していきます。特に、角川から小説版が出ている三作品(『秒速5センチメートル』、『言の葉の庭』、『君の名は。』)を対比させてみました。

 ちなみに、作品が製作された時系列は、『秒速5センチメートル』(2007)→『言の葉の庭』(2013)→『君の名は。』(2016)となっています。

 

 

■6つの視点

①登場人物

君の名は。』では、高校生の立花瀧(声:神木隆之介)と同じく高校生の宮水三葉(声:上白石萌音)という二人が主人公です。高校生や学生が主人公というのは、新海作品では共通しており、『秒速5センチメートル』の主人公遠野貴樹や、『言の葉の庭』の主人公秋月孝雄(ヒロインの雪野百香は教師)にも当てはまっています。

 『君の名は。』のトリビアとして、瀧がアルバイトをしているイタリアンレストラン「IL GIARDINO DELLE PAROLE」は、『言の葉の庭』の伊語版タイトルです。また、三葉の友人である勅使河原克彦名取早耶香は、小説版『言の葉の庭』からの登場人物であり、そもそも三葉の高校の古典教師であるユキちゃん先生は、『言の葉の庭』のヒロインである雪野百香里と同一人物です。その他にもスピンオフ小説では、三葉の祖母である一葉の母の名前は「言葉」となっており、これまた前作を意識した演出となっています。

 ちなみに、これまでの男性主人公の名前は、「貴樹(Takaki)」「孝雄(Takao)」「瀧(Taki)」と全員がTで始まっています。

 

②舞台

君の名は。』では、瀧の出身地である東京都と三葉の出身地である岐阜県の架空の町「糸守町」が舞台になっています。『秒速5センチメートル』では、「桜花抄」東京都→「コスモナウト」鹿児島県種子島)→秒速5センチメートル東京都が舞台であり、各編によって舞台が異なっています。『言の葉の庭』では、終始東京都が舞台になっています。このように東京都が主な舞台であることが共通しており、登場人物の再開や別れの場所などの意味を持っています。

 言の葉の庭』は、新海作品の中でも例外が多く、他の作品に付けられているサブタイトル(例:『秒速5センチメートルa chain of short stories about their distance、『君の名は。your name.)がなく、前述したように東京のみが舞台であり、後述する宇宙の描写がないなど、これまでの新海作品の常識を外した作品となっています。

 

③電車

 新海作品では電車が要所で描写されています。『君の名は。』では、隕石の衝突前日に三葉が東京の瀧に会いに行く場面や二人が社会人になってから電車で行き違う場面などに描写され、単純な移動手段としてだけではなく、すれ違いを表す舞台装置として描かれています。秒速5センチメートル』では、「桜花抄」にて主人公の貴樹がヒロインの明里に会いに行く場面や二人が踏切を挟んでいる場面など、二人の関係が上手くいかないことの暗示として描かれています。『言の葉の庭』では、主人公とヒロインの交通手段として描かれていますが、これは雑踏の駅と静かな雨の庭園との対比、日常と非日常の対比として描かれています。

 

④宇宙

 新海監督は宇宙やSFが好きでその描写は物語に多く取り込まれており、それが映像美に一役買っているのは言うまでもありません。『君の名は。』では、物語の根幹ともいうべきティアマト彗星の描写がそれに当たります。『秒速5センチメートル』では、「コスモナウト」での貴樹の心理描写がそれにあたります。また、「コスモナウト」とは宇宙飛行士の意味です。『言の葉の庭』では、なんと宇宙に関する描写がありません。しかし、宇宙の下にある天気(雨)が第3のキャラクターとして描かれています。

 

⑤就職

 少年少女から青年への成長を描いた新海作品では、直接働いている描写は少ないですが主人公が就職するという場面があります。『君の名は。』では、瀧が建築会社の面接を受ける場面やその後、実際に就職したと思われる場面が描かれています。『秒速5センチメートル』では、貴樹が就職した会社を退職したという場面があります。『言の葉の庭』では、主人公である孝雄は就職しませんが、将来靴職人になることを目指しています。また、ヒロインである雪野はとある理由から物語中盤で仕事を退職します。

 

⑥物語の結末

 『君の名は。』では、最終的に瀧と三葉の行動によって隕石による大災害を防ぐことには成功しましたが、入れ替わっていたそれまでの記憶をお互いに失ってしまいます(無かったことになった?)。ですが、心の中には、お互いに「何か」を探し続けているという感覚が残っており、ついには物語のラストシーンで再開(初対面)を果たします。ここが今までの新海作品と大きく異なる点です。秒速5センチメートル』では、主人公である貴樹は誰とも結ばれずに物語は終わります。また、『言の葉の庭』では、主人公である孝雄とヒロインである雪野は心を通わせたものの、最終的には別々の道を歩むことを選んでいます。これまで多くのすれ違いや別れを描いてきた新海監督が「再開」を描くということがまず驚きであり、それによって大きな感動が生まれました。

 ただ、高校生の内に再開するのではなく、高校生→大学生→社会人と時間をかけて再開するという流れが何とも新海作品らしいなとも思いました。これにより、時間の経過を経てもずっと探し続けていたという感じがより強く表れています。

 

 その他、『君の名は。』では、RADWIMPSが劇中の音楽全てを担当しています。新海作品ではこれまでにも多くのアーティストが主題歌を担当してきました(『秒速5センチメートル山崎まさよしOne more time, One more chance、『言の葉の庭秦基博「Rain」)。その中でも劇中の音楽全てをアーティストが担当しているというのは初の試みです。このアーティストが自分に合うかどうかで作品の評価が大きく分かれるポイントでもあると思います。私としてはRADWIMPSが好きなこともあって、音楽の緩急が作品を上手く上げたり下げたりして重すぎず軽すぎず効果的に機能していた気がしました。

 

 

 いかがでしたでしょうか。要は「これまでの新海作品を観ているとより楽しめるよ」という紹介なのです(笑)『君の名は。』は、ロングラン上映されていますので、時間があれば上記の二作品(『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』)を観た上で鑑賞することをオススメします。製作者の意匠を感じ、より物語に入り込んで感動することができると思いますので是非、参考までに。

 

 

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ぺんぎん