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『シン・ゴジラ』における政治組織の役割について

今週のお題「映画の夏」

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こんにちは、ぺんぎんです。

 

ついに観ました『シン・ゴジラ』!!

色々と他の方の評価を事前に見ていたので、

それを踏まえた上で自分が感じたことを書きたいと思います。

あ、ネタバレ注意です。

 

 

■『シン・ゴジラ』における政治組織の役割について

 

この映画は主に前半と後半に分けることができ、

活躍する組織もそのパートで異なります。

 

前半部は、ゴジラが東京に出現して大暴れし、一旦活動を停止するまで。

ここでは主に内閣がゴジラに対抗する組織として描かれています。

後半部は、ゴジラを復活から阻止する為に奮闘し、その決着が着くまで。

ここでは長谷川博己が演じる主人公矢口が中心となる対策班(「巨災対」)が、

ゴジラに対抗する組織として描かれています。

 

注目すべきは、これらの組織の対比です。

 

後半部で活躍する「巨災対」に対して、内閣組織は圧倒的に無能に描かれています。

主人公が提言する未確認生物の可能性を否定したり、

ゴジラ上陸を予見できなかったり、

また、後半部でも国連軍の核攻撃を受け入れざるを得なかったりと

もう散々な扱いです。

 

しかも、前半部に出てくる内閣組織の大半の登場人物はゴジラの放出するビーム

(通称「内閣総辞職ビーム」)によって全滅するという最期を迎えます。(ひでぇ)

 

それに対して、有志で集められた「巨災対」は全面的に有能な組織として

描かれています。

彼らは襲撃を生き残り、ついにはゴジラの弱点を解明し、凍結することに成功します。

 

ここだけ見ると、この映画での内閣はもうダメダメな組織です。

しかしながら、私はそうは思いませんでした。

 

確かにこの組織はゴジラへの対応を見誤り、甚大な被害を出すに至ってしまいました。

しかし、この組織は政治的な思惑こそあれど、

悪意的な組織としては描かれてはいません。

ゴジラを攻撃する際も民間人の避難を優先し、攻撃を止めています。

また、現実的な手法でゴジラへの核攻撃を肯定し、

被災地復興を試みようとしています。

ある登場人物のセリフでも、

「俺たちはベストではないが、最善を尽くした」と言うシーンがあります。

つまり、人道的には何らおかしなことはしていないんですよね。

攻撃命令や人民保護についても、過去の法例や職務に則って行っていただけです。

(もちろん、ゴジラの出現なんてものは過去に例は無いのだが)

 

それが「現実」であり、何ら間違ったことではなく、

私には彼らはできる限りの最善を尽くしているように見えました。

 

ただ、それでは想像を超えた怪物には対応することはできませんでした。

 

私はここに役割分担の重要さを見ました。

 

つまり、通常であれば前半部の内閣のような

過去に添うような組織でも対処は可能ですが、

未曾有でイレギュラーな事態に対応するためには、

地位や年齢に囚われない柔軟な「巨災対」

のような組織が必要になってくるという訳です。

 

この内閣組織の対応があまり良いように描かれていないことや

指摘もあったことに対し、私は特に違和感を覚えました。

 

それに、もしもこの内閣組織がゴジラに対応することができたのならば、

それこそ「虚構」なのではないでしょうか。

 

 

□まとめ

 

この映画のキャッチコピーは、

『現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)』となっています。

現実にゴジラが現れたらどうなるのか、それを綿密に想定した上で作られたそうです。

この作品自体が現実の出来事(震災、原発等)に添った内容だという話もあります。

 

ゴジラはわかりませんが、万が一、そういう事態になった場合、

私たちには過去を前提とする組織ではなく、「巨災対」のような柔軟な組織や

主人公のような型破りなリーダーが必要になるのではないかと思います。

 

それにしても、こんなにも大人がカッコいい映画はありませんね。

子供が観ても理解が難しい作品だと思います。

だからこそ、大人になった時にもう一度観て何かを感じて欲しい、

そんなことを考えさせられた良い作品だと思いました。

 

ありがとう、庵野監督!!

 

 

ぺんぎん


『シン・ゴジラ』特報