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夜明け前が最も暗い

何かを失った自分が、新しい自分を取り戻すまで。

Why don't you do your best?~映画『セッション』にみる社会に蔓延る「よくやったよ」病~

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こんにちは、ぺんぎんです。

まだ20代のはずなのに最近は眠くて12時を迎えることなく寝てしまいます。

 

 

 さて、はてな匿名ダイアリーを閲覧しているとこんな記事を見かけました。

anond.hatelabo.jp

 要約すると、自宅に居ながら映画やドラマが配信で見られるのに、なぜわざわざ手間のかかるレンタルDVDを借りにいく必要があるのか、という意見です。

 

これに対して、以下の意見もありました。

anond.hatelabo.jp

 要約すると、配信されているのは人気がある一部の作品だけであり、必ずしも自分が見たい作品がある訳ではない。ソフトでしか見られない作品もある、という意見です。

 

 私はこの方と同意見です。ネットで映画やドラマを見られることは確かに便利ですが、すべての作品を網羅している訳ではありません。最新の、または人気がある(もっと言えば利益が上げられる)作品だけが配信されているように感じます。

 余談ですが、映画『ファイト・クラブ』のブルーレイ版では、ラストシーンに演出としてサブリミナルで一瞬画面にペ〇スが写りますが、これも配信では無理でしょうね笑

 

 また、このダイアリーの筆者は以下のように述べてます。(該当記事より抜粋)

フィルム→ビデオ→DVD→ネットフリックスと、どんどん作品は厳選されていく。そこで選ばれるのは収益が見込まれる大衆的な作品だけだ。少数に深く刺さるマニアックなものは捨てられる。たくさんの映画が捨てられてきた。その中には、もし鑑賞していれば、あなたの人生を変えるような映画も無数にあったはずだ。父親からの手紙が何よりも泣けるように、一人ひとり、深く刺さるものは違う。その可能性が、たくさん捨てられてきた。(中略)  

そうやって表面的なものしか残らなくなった地球では、映画に深い感動を覚える人間をいない。1人もいない。誰もが「こんなもんだ」と……「上映時間分楽しめればいいや」と……その程度の感慨しか映画に持っていない。映画を見て人生が変わったり、苦痛から解放されたり、生きるエネルギーをもらったりすることはない。映画にそんな力があるなんて、誰も思っちゃいない。

 

 さて、それを踏まえた上で本題です。先日映画『セッション』(原題:Whiplashを観ました。『セッション』は、音楽大学を舞台にドラム奏者である学生とそれを指導する教師との心と心のぶつかり合いを描いた映画です。第87回アカデミー賞で5部門にノミネートされ、鬼教官役のJ・K・シモンズ助演男優賞を含む3部門で受賞しました。以下に作品のあらすじを紹介します。

 

 あらすじ(日本版公式サイトhttp://session.gaga.ne.jp/story/より抜粋)

名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラーフレッチャー(J・K・シモンズのバンドにスカウトされる。ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。

 

 音楽をやっている方もそうでない方も楽しめる一押しの作品です。

 この作品の中で特に印象に残った場面があります。それは主人公であるニーマンがある事件を起こして退学となり、偶然見つけたジャズクラブで当時の指導教官であったフレッチャーと再会し、酒を呑みながらフレッチャーが自らの指導方法をニーマンに弁明する場面です。

 

 彼は言います。「自分が学生を厳しく指導するのは、彼らにジャズ界の伝説になって欲しいと願うからだ。自分の仕事はバンドを指揮することではない。偉大なミュージシャンを育てることだ。かつて、ヘマをやらかしたチャーリー・パーカーに、ジョージョーンズはシンバルを投げつけた。しかし、それがパーカーの克己心に火をつけ、彼を偉大にした。自分のやったことに後悔はない。」と。

 また、フレッチャーはこう続けます。「よくやった(Good Job)と生ぬるく褒めそやすことで、第二のチャーリー・パーカーの才能を殺すことこそが悲劇だ」と。

 

 映画に限りませんが、私は段々と人々の価値観や評価のハードルが下がってきていると感じています。「それって本当にベスト(全力)なの?」と思う時がよくあります。具体例を挙げれば、最近の雨後の筍のように出てくる作品愛に欠けた、クオリティではなく話題性だけで利益を上げようとする漫画の実写映画がそうです。また、観る側も初めから期待していなくて、「まぁこんなもんか」という感じの低い目線で作品を観ている人が多いような気がします。

 仕事でもなんでも「こんなもんか」や「よくやったよ」という考え方が物事のクオリティを下げたり、努力の方向性を変えてしまっているような気がしてなりません。ベストを尽くすのではなく一定の評価が得られればいいと考えたり、努力へのアプローチそのもの止めてしまう危険性さえあります。

 この「低価値観」ともいうべき価値観が蔓延した結果、悪貨が良貨を駆逐するように、大衆的で表面的なものしか生き残れず、抜きんでるものが生まれない、もしくは生まれにくくなってしまうのではないかと分析します。

 と、ここまで自分の考えを述べてきましたが、そんな考え方だからこそ、ストーリーを通してその理論を体現しているこの作品が私には深く響いたのかもしれません。

 

 

 ■最後に

 ある著名な大学教授はこう言いました。

なぜベストを尽くさないのか

 私はこれに一言を付け足してこの記事を強引に〆たいと思います。

それがお前の本当のベストか」

 

 そしてまたオチはない。

 

 

ぺんぎん