夜明け前が最も暗い

何かを失った自分が、新しい自分を手に入れるまで。

旅の目的地はまだ見つかっていない

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こんにちは、ぺんぎんです。

いつの間にか夏も終盤、秋に近づいてきましたね。

 

さて、就職試験を受けていますが、なかなか良い結果が出なくて心が折れそうです。

以前なら、「何が一億総活躍社会だよ、社会が働かせてくれねーじゃねぇか。○ね」

となるところですが、今回はなかなかそんな元気もなくて参っています。

 

 

話は変わりますが、昨日、ある映画を観ました。

正直、あんまりいい映画ではありませんでしたがあることを思いました。

 

それは、「良いものは人を成長させる」ということ。

逆説的にいえば、「人を成長させるものは良いもの」だということになります。

 

それは作品を通して、自分もその経験を追体験できるという点にあると思います。

その良い(作品の)経験を取り込むことによって自分も成長できるという考え方です。

 

もちろん、それは錯覚かもしれません。

(例えば、「ファイトクラブ」の物語やタイラー・ダーデンを観て強くなったと感じたり)

 

でも、それが大事なのではないでしょうか。

錯覚でも勘違いでも、それが自分を突き動かすモチベーションになれば、

自分はそれで良いと思っています。「きっかけ」であることが大切なのです。

 

 

就活も婚活もまだ旅の目的地は見つかっていません。

しかし、旅というのは必ずしも「目的地に辿り着くこと」が目的ではないのだと思います。

旅をする中で観て考えたり、感じたり、体験して成長したり、意志を固めたり。

その旅の中で「何か」を得るということが重要なのだと思います。

 

目的だけを追い求めれば、その意味を見失う。

 

もしかしたら、自分がまだ目的地を見つけられていないのは、

その旅の意味をまだつかんでいないからなのかも知れません。

 

だから、「働いてから迷わないように、意味をつかむまで待ってやんよ」

という神様からのメッセージなのかも知れません。

 

そう、好意的に解釈したいと思います。

 

 

西野七瀬ちゃんが突然告白とかしてくれたりとかしませんかね。

 

 

ぺんぎん

過去の恋愛の未練について

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こんにちは、ぺんぎんです。早いもので、もう9月になりますね。

 

 

先日、友人の結婚式に出席しました。

とても良い結婚式で、私も結婚した二人のような関係でありたいと思いました。

 

それと同時に、私は自分のこれまでの恋愛について考えていました。

特に、前に付き合っていた彼女のことを。

 

前に付き合っていた彼女は勝気な性格の女性でした。

それまで付き合った恋人はどちらかというと大人しいほうで、

お互いに言いたいことを言えない関係のまま終わってしまったので、

少し位気が強いほうが調度いいと付き合った当時は思っていました。

 

私たちは似ていました。趣味などは共通ではありませんでしたが、

社会に対しての価値観やものの考え方は同じ方向であったと思います。

 

しばらくは楽しい関係が続きました。

しかし、私たちはよくケンカをするようになりました。

私も彼女も気が強かった為、お互いの主張がぶつかりあうことが度々ありました。

たとえば、会う頻度の話や電話やメールの使い方など。

 

確かに、私たちは言いたいことを言える関係であったと思います。

しかし、分かりあえてはいませんでした。

自分の言いたいことを言っているだけで。

お互いの主張を顧みないまま時間が解決してくれることを願い、

問題を有耶無耶にしたままいつの間にか仲直りをしていました。

 

当然、また同じことでケンカをしました。何度も何度も。

いっこうに改善されない関係に嫌気がさし、私は彼女と別れました。

 

私は気づきました。言いたいことを言えば言うほど溝が深まる関係もあるのだと。

いえ、もっと大切なことはきちんとお互いの主張に耳を傾け、

根気強く問題に対処することだったのかもしれません。

 

あれからもう半年以上が経ちますが、彼女のことを忘れた訳ではなく、

逆に今はとても彼女を恋しい気持ちです。別れたのに勝手ですよね。

 

でも、それが「彼女」に対する依存なのか、

「過去」に対する依存なのかはわかりません。

ただ、未練タラタラなのは間違いないです(笑)

 

恋愛って難しいですね。

 

結婚式では、二人に祝辞を述べさせていただきました。

「友人に負けないくらい素晴らしいパートナーを見つけるぞ」、と。

 

有言実行といきたいところです。

 

 

ぺんぎん 

『シン・ゴジラ』における政治組織の役割について

今週のお題「映画の夏」

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こんにちは、ぺんぎんです。

 

ついに観ました『シン・ゴジラ』!!

色々と他の方の評価を事前に見ていたので、

それを踏まえた上で自分が感じたことを書きたいと思います。

あ、ネタバレ注意です。

 

 

■『シン・ゴジラ』における政治組織の役割について

 

この映画は主に前半と後半に分けることができ、

活躍する組織もそのパートで異なります。

 

前半部は、ゴジラが東京に出現して大暴れし、一旦活動を停止するまで。

ここでは主に内閣がゴジラに対抗する組織として描かれています。

後半部は、ゴジラを復活から阻止する為に奮闘し、その決着が着くまで。

ここでは長谷川博己が演じる主人公矢口が中心となる対策班(「巨災対」)が、

ゴジラに対抗する組織として描かれています。

 

注目すべきは、これらの組織の対比です。

 

後半部で活躍する「巨災対」に対して、内閣組織は圧倒的に無能に描かれています。

主人公が提言する未確認生物の可能性を否定したり、

ゴジラ上陸を予見できなかったり、

また、後半部でも国連軍の核攻撃を受け入れざるを得なかったりと

もう散々な扱いです。

 

しかも、前半部に出てくる内閣組織の大半の登場人物はゴジラの放出するビーム

(通称「内閣総辞職ビーム」)によって全滅するという最期を迎えます。(ひでぇ)

 

それに対して、有志で集められた「巨災対」は全面的に有能な組織として

描かれています。

彼らは襲撃を生き残り、ついにはゴジラの弱点を解明し、凍結することに成功します。

 

ここだけ見ると、この映画での内閣はもうダメダメな組織です。

しかしながら、私はそうは思いませんでした。

 

確かにこの組織はゴジラへの対応を見誤り、甚大な被害を出すに至ってしまいました。

しかし、この組織は政治的な思惑こそあれど、

悪意的な組織としては描かれてはいません。

ゴジラを攻撃する際も民間人の避難を優先し、攻撃を止めています。

また、現実的な手法でゴジラへの核攻撃を肯定し、

被災地復興を試みようとしています。

ある登場人物のセリフでも、

「俺たちはベストではないが、最善を尽くした」と言うシーンがあります。

つまり、人道的には何らおかしなことはしていないんですよね。

攻撃命令や人民保護についても、過去の法例や職務に則って行っていただけです。

(もちろん、ゴジラの出現なんてものは過去に例は無いのだが)

 

それが「現実」であり、何ら間違ったことではなく、

私には彼らはできる限りの最善を尽くしているように見えました。

 

ただ、それでは想像を超えた怪物には対応することはできませんでした。

 

私はここに役割分担の重要さを見ました。

 

つまり、通常であれば前半部の内閣のような

過去に添うような組織でも対処は可能ですが、

未曾有でイレギュラーな事態に対応するためには、

地位や年齢に囚われない柔軟な「巨災対」

のような組織が必要になってくるという訳です。

 

この内閣組織の対応があまり良いように描かれていないことや

指摘もあったことに対し、私は特に違和感を覚えました。

 

それに、もしもこの内閣組織がゴジラに対応することができたのならば、

それこそ「虚構」なのではないでしょうか。

 

 

□まとめ

 

この映画のキャッチコピーは、

『現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)』となっています。

現実にゴジラが現れたらどうなるのか、それを綿密に想定した上で作られたそうです。

この作品自体が現実の出来事(震災、原発等)に添った内容だという話もあります。

 

ゴジラはわかりませんが、万が一、そういう事態になった場合、

私たちには過去を前提とする組織ではなく、「巨災対」のような柔軟な組織や

主人公のような型破りなリーダーが必要になるのではないかと思います。

 

それにしても、こんなにも大人がカッコいい映画はありませんね。

子供が観ても理解が難しい作品だと思います。

だからこそ、大人になった時にもう一度観て何かを感じて欲しい、

そんなことを考えさせられた良い作品だと思いました。

 

ありがとう、庵野監督!!

 

 

ぺんぎん


『シン・ゴジラ』特報

夏の怪談『死中』~後半~

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続き

 

 

サークルの活動が忙しくなり、自然とKのアパートに寄ることが多くなりました。

Kは自分達が来るといつもあのシチューを作ってくれました。

食卓に出てくる白いクリームシチュー。

次の日も。そして、また次の日も。Kは同じシチューを作り続けました。

話を聞くとどうやら本人だけでもシチューを作って食べているのだとか。

 

いつしか、自分達はあまりの頻度に何かと理由をつけて断るようになりました。

 

それから数日が経ち、撮影は終了し、Kのアパートに行くことも無くなりました。

 

 

皆さん、もうおわかりですね。しかし、本当の恐怖はここからです。

 

 

あれから数年が経ち、現在。

あの時は彼がなぜシチューを作り続けていたのかわかりませんでした。

 

しかし、無職(多忙)になった今、

彼がシチューを作り続ける以上に、自分は毎日のように野菜炒めを作っています!

こうして、今では自分が彼以上の存在へとなってしまいました。

 

自分が野菜炒めを作り続ける理由、それはなぜか。

 

楽だから!!

献立が一つしかなく、材料もルーティーンであればなお良し。

考える必要もなく、ただ栄養補給のためだけに作る。それだけ。

 

今ならばわかりますが、あれは工学部の講義やサークル活動で忙しかった

彼が見つけた一種の時短術だったのかもしれません。

たまたま見つけたのが好きなクリームシチューだっただけで。

 

半ば冗談のような、半ば怪談のような本当の話。皆さんもどうぞご用心を。

 

ちなみに、Kとは卒業から会っていませんが、

出身地の会社でいきいきと働いているようです。

 

需要があるならば、今度こそ本当の恐怖体験を。

 

 

ぺんぎん

夏の怪談『死中』~前半~

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こんにちは、ぺんぎんです。

皆さんはどんなお盆休みを過ごしましたか?

自分はなぜかカイジを全巻読破し、夕飯には野菜炒めを食べていました。

 

ところで、夏ですね。夏と言えば「怪談」!!

ということで突然ではありますが、今日は自分が体験した「怖い話」を紹介します。

 

 

話は自分の大学生時代にさかのぼります。

自分は大学生時代にある映像系のサークルに入っていました。

人気のないサークルであったので、同級生は数名という具合でした。

その中の一人に「K」という男がいました。

Kは独特の雰囲気や話し方をする変わった男で、

工学部の学生で電気電子を専攻していましたが、

電気も電子も興味がないという、

森見登美彦の『四畳半神話体系』に登場する小津みたいな奴でした。

 

ある日、サークルでの活動が遅くなり、

近くに住んでいたKのアパートで休んでいこうということになりました。

 

Kの住むアパートは割と新しく、部屋も小奇麗にまとまっていました。

Kの部屋の物色もそこそこに、今日撮影した内容を皆で確認することにしました。

 

作業に集中していた為か、気が付いたら部屋からKがいなくなっていました。

 

しかし、それは自分の勘違いで、Kは部屋の奥に一人で突っ立っていました。

しかも、よく見るとKが自分達を背に何かゴソゴソとしているようでした。

本人に話を聞けば、Kは自分達の為に夕飯を作ってくれるとのことでした。

 

そして、そこでKが振舞ってくれたのがシチューでした。

何の変哲もない白いクリームシチュー。

その時は皆も美味しいと言ってシチューを食べていました。

 

しかし、恐怖はこの夜から始まりました。

 

 

続く